コラム148 えひめ丸事件(衝突地点のことなど)

コラム148 えひめ丸事件(衝突地点のことなど)
 緯度は赤道を基準にして南北90度までで示し、経度はイギリスの旧グリニジ天文台
子午環を通る子午線を基準に東西180度まで計ることは航海者ならずとも知られたこ
とだ。
 しかし、経度は本来、グリニジであろうがパリであってもかまわないが、各国まちま
ちでは不都合があるから、1884年の万国子午線会議でロンドンの旧王立グリニジ天
文台を通る子午線を基準にし、これを本初子午線<Greenwich meridian,
Prime meridian>と称し現在に至っている。
 ちなみに航海者はグリニッジと書くことが多いし、緯度、経度といって緯度を先に書
くが、わが国の天体暦では<グリニジ>であり、暦や天文学の分野では<経緯度>であ
るし、<赤経、赤緯>と表現する。いずれも故あっての慣例表記であるが、なぜそうな
るのかは読者の楽しみに残しておこう。
 グリニジ子午線が国際的に認められる前、1768年エンデヴァ号がプリマスを出帆
する際、ジェイムズ・クック海尉に与えられた極秘訓令ではキングジョージ島(タヒチ)
のポートロイヤルの位置を「グリニジ王立天文台子午線の西150度の経度」と表現し
ている。第一回航海のクックの日記では「経度グリニジの西○○度」のように書いてい
る。しかし彼の第三回太平洋探検では、アメリカ西海岸カリフォルニア付近の経度を現すの
に東経を用い東経235度20分と表現しているから、当時は現在のように東西経度を
峻別しなかったのではあるまいか。
 
 宇和島水産高等学校の実習船えひめ丸は平成13年(2001年)2月9日13時4
3分15秒、ハワイホノルル南方でアメリカ海軍ロス級原子力潜水艦グリーンビルと衝
突した。
 これは地方標準時マイナス10時間であるから、日本時は10日08時43分少し過
ぎのこととなる。
 筆者はNHK松山放送局や地元民放からこの事件のコメントを求められた。
 民放での生出演で民放が用意した海図には海上保安庁のHPで示されている衝突
地点が記入されていた。図1の左側の丸印がそれだ。
 迂闊といえばそれまでだが、筆者はこれを鵜呑みにしてしゃべったが後にアメリカ太
平洋艦隊司令部の公式発表で、海上保安庁のHP記載の位置が出鱈目であることに気付
き大恥をかいたことがある。
 これはHPに関係した係官が衝突地点の経度を記入する際、右から左に西経は増えて
行くのに、西経の海図に慣れていないものだから、東経と同じように左から右に経度尺
をとり違えて記入したチョンボだろうと思っている。これは当分誤りのままで後日訂正さ
れたかどうか知らない。
 衝突地点の緯度には間違いはなかった。慣れ親しんでいる北緯だからであろう。
 図2から4はNational Transportation Safety Board(略、NTSB,大統領直轄のア
メリカ国家運輸安全委員会)のHPからとったもので、図2は三次元で現した原潜の動
き、図3は上空から見たた動きを2次元で表示したもの。図4は原潜の舵でえひめ丸の船
底を切り裂いた痕跡を示している。
  先般、日向灘で海上自衛隊の潜水艦がグリーンビルと同じようなチョンボで外国船
と衝突したが海自はNTSBのように徹底した原因究明を行い、公表するのだろうか。
 ハイテクの塊のはずの現代潜水艦が頭上至近を航行する船舶を探知できないなどという
のはハード面での欠陥ではなくヒューマンエラーに違いなかろう。

 図1に戻ろう。これは某船社の乗組員を対象に行った危険予知訓練の教材に用いた
ものである。図の左側にはsubmerged  submarine operating areaがある。右側には
Submarine test and trial areaがあって、えひめ丸は右側の海域を166度方向に横切って
衝突に至っている。航行禁止区域ではないが、有能な船員はこのような航路を選択しない。
 図において両区域間である一番左の航路を選択するのが常識ある航海者であろう。
 3本の赤実線のいずれを採用しようが、同船の目的地まで15分と変わらないのである
が、えひめ丸船長は中央の最短路を採用した。疑わしいところには行かないというグッド
シーマンシプの欠如が禍を招いたようである。
 この事件はグリーンビル側の一方過失であることはいうまでもないが、少しでも危惧
感があったなら、このような航路を採用しなかったはずである。
 えひめ丸船長は、この「潜水艦テスト・試運転区域」に潜航中の潜水艦が存在するか
も知れないということに思いが至らなかったのではあるまいか。
 航海訓練所の練習船で両区域を横切ってホノルルに出入りしたなどという話は聞いた
ことがない。
 同船の船員法第19条報告(海難報告書)は在ホノルル日本国総領事館宛ではなく事故
後1ヶ月ばかり経過して、ようやく四国運輸局長宛に提出されたのである。
 ところが驚くべきことにこの報告書にはアメリカ合衆国所有の原子力潜水艦
Greenvilleの文言が一切見当たらないのである。潜水艦と衝突したともいって
いない。
 衝撃を感じてから後方を見たら潜水艦がいたと記載しているだけである。
 衝突時刻についても「平成13年2月9日13:30〜40分」にように幅を持たせた
時刻が記載されている。(「:」は筆者の誤植ではない。)
 この報告書を作成した時点では既に衝突時刻はほぼ特定されていただろうに、衝突時刻
は報告書記載の時刻とは異なり13時43分少し過ぎのことであった。
 えひめ丸事件は筆者にとっても後味の悪い話であった。

 この事件に関した書籍は新日本出版社から刊行された「えひめ丸事件(ピーターアーリ
ンダー著薄井雅子訳)が知られているが、和書では本年8月愛媛テレビ朝日の山中利之君
が労作「えひめ丸事故・怒りと悲しみの狭間で」(創風社版)を出版された。
 メディアが伝え切れなかった事故の真実を明らかにしたものとして一読に値しよう。


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