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コラム134 晴天の暗夜と視界制限状態 |
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「晴天の暗夜」という言葉がある。
これは空気が完全に清浄な状態を100とし、その90%まで澄んだ状態であり、月明はな
く天空は快晴であって、天文薄明開始(太陽高度がマイナス18度)以降のことをいうという
説がある。 航海燈の光達距離は、この晴天の暗夜において健全な視力(視力1.0)の者
が光を認め得る距離ともいっていた時代があった。
いまでは、法定燈火等の光度は次の式(1)によって計算することになっている。(海上衝
突予防法施行規則第3条)
1カンデラ<記号cd>は、1937年の国際照明委員会で採択された光度の単位で、おお
よそ蝋燭1本分の明るさであるが、厳密な定義は、周波数540×1012ヘルツの単色放射
を放出し、所定の方向におけるその放射強度が1/683ワット毎ステラジアンである光源の
その方向における光度をいう。
「葡萄舎だより」というホームページではこの定義について<誠に申し訳ありません。この
定義が理解できる方を無条件で尊敬します。>と書いているが、筆者も全く同感である。
長さ(全長)50メートル以上の一般動力船が航行中であればマスト燈は6海里以上、舷
燈船尾燈は3海里以上の光達距離が必要とされる。これが、12メートル未満のヨットであれ
ば、マスト燈2海里、舷燈1海里、船尾燈2海里の光達距離である。これら式(1)で計算す
るとそれぞれ必要な光度(カンデラ)は、
6海里94カンデラ、3海里12カンデラ、2海里4.3カンデラ、1海里0.9カンデラである。
図には帆船の燈火を示したが、ヨットで機帆走しているのに、夜間動力船の燈火を点燈
せず三色燈を点燈したり、昼間は黒色円錐形形象物(その頂点を下にする。)を掲げない
で航行している艇が多いが法令を遵守すべきだ。 |
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ちなみに、航路標識の内、燈台で最も明るいのは、<室戸岬灯台>で190万カンデラで
光達距離30.5海里である。兵庫県香住町余部埼灯台は284.1メートルで日本で最も高い
が、44万カンデラで光達距離は<39海里>である。これらは見る方の眼の高さが5メート
ルのばあいである。
光達距離は式(2)で計算できるが灯台表では係数を2.072の代わりに2,083を使用
することに注意する。
これが、10メートルとか20メートルの高さから見るなら、その補正量は式(3)で計算でき
る。式(2)同様に式(3)の係数は2.083と読み替える。ヨットのように眼高が低い場合
について計算しておくと視界良好の夜間、遠方の灯台の実光を視認したとき灯台までの距離を推
定するのに役立つだろう。
安芸灘南航路第一号灯浮標の灯高は海面から6.4メートル、2号から4号はいずれも5.6
メートルであり海図と灯台表光達距離から灯浮標は推薦航路線上に1号〜2号間は2.5海里、
2〜4号は4.9海里間隔であるから1号を通過した時点では2号と3号を認めることができると
いうことになる。
視界が悪くなると各燈火ともに見え難くなる。 昔は視界が悪くなった状態を霧中といっ
ていたが、原因は霧だけでない。 吹雪、豪雨、煤煙、砂嵐が原因のときもあるから現在は
視界制限状態という。
さまざまな原因で地表面の大気中にごく小さな水滴が数多く浮遊している現象が霧だが
、天空に存在すると雲である。「靄<もや>は視程が1〜10キロメートル未満である。霧は
視程1キロメートル未満になった場合で、濃霧注意報の発表基準は視程が海上500メート
ル以下である。 視界制限状態ではもう少し事情が複雑になる。
霧中、もや、降雪、暴風雨、砂あらし、煙霧、スモッグ、黄砂現象、火災の煙などが原因で
視界が制限される状態が予防法上の視界制限状態(以下、霧中ということにします。)であ
る。
昔、帆船の場合、霧がかかると、運転の自由を失わない程度以上に帆を展帆してはなら
なかった。 これは絶対に守らなければならなかったのだ。 霧が三日かかると、三日間、
昼夜を問わず汽笛を吹鳴したものである。 船橋の窓は全て開放したし、操舵室の外で見
張りを行い他船や灯台の霧信号はもとより、機関音、海岸に砕ける波の音はしないか、磯
の香りがしないか、煙の匂いはどうか、人声、動物の鳴き声はしないか、海面の色はなど、
当直者は精神を極度に集中して緊張した見張りを行っていたものであった。
日本の霧中信号の起源はよく分からないが、冬の大半は霧に閉ざされるイギリスでは、昔
から一種の発声信号を行う習慣があったし、太鼓、号鐘などを打ち鳴らし、あるいは船首
楼で鎚を使って錨を撃ったという。
霧中号角(ホグホーン)は帆船で最近まで使用された信号具で「ふいご式」、「ピストン式
」があったが、口で吹く喇叭のようなものは霧中信号具としては許されなかった。
何とか霧が晴れて欲しいと思うのはレーダーのある現代でも同じだが、積極的に霧をは
らす方法が江戸時代に書かれた「日本航路細見記」にでている。
これは「洋中で霧がかかり、方角を失ったときは、生の大豆をすり鉢でするか、歯で噛み
砕き、それを口に含んで霧に向かって吹き散らすと、暫くして霧が晴れて方角を定めること
ができる。」というものだ。ぜひ試されたらいい。いつまでもやっていたら必ず視界がよく
なる。
霧中の衝突は視程が50〜200メ−トルの場合が多いが、500メ−トル以上で発生す
ることもある。 小型鋼船なら1、000メ−トルの視程があれば、相手船が視野内に入った時
点で直ちに回避運動を始めれば一般に回避可能だろうが、船舶交通、付近の海域の状
況によって異る。 従って霧中航法を適用する時期は個々の事案に照らして判断しなけ
ればならず、定量的に数値で示すことはできない。
2海里に視界が制限されると霧中であると書いてあるハウツウものもあるが、用心にこ
したことはないが過大で妄言だ。
例えば旅客船にあっては視程が1、000メ−トル以下になって、霧中航法を開始する場合が
多いし、旅客船でも一般商船であっても運航管理規程での発航中止条件は500メートルであり、
視程が1000メートル以下になれは当直体制の強化、レーダーの有効利用を、安全な速力とす
るなどの措置を採らなければ成らないことになっている。
大型船側からいうと、ヨット、プレジャーボートは常時レーダーレフレクターを掲揚してお
いて欲しい。優秀な大型レーダーでも波の海面反射に小舟が埋没して発見きないことがあるのだ。
このように予防法の霧中航法の適用時期は抽象的であるが「相手船を初認してからでは
有視界航法(横切船の航法など。)を適用するのに時間的、距離的余裕がない程度に視
界が制限されている状態」と表現する他はない。当時の条件、状況を特定しないで霧中
航法の適用時期を定量的に数値表現しているような書物は信じない方がいい。
霧中における衝突で海難審判庁が裁決を言渡した視界制限状態時の衝突968件について
視程をどのように数値表現しているか調べると、
50メートル以下(10,20,30、40メートルを含む) 189件 30〜80メートル 1件
50〜60メートル 2件 60メートル 20件 60〜70メートル 1件
70メートル 22件 70〜80メートル 1件 80メートル 7件
50〜100メートル 1件 100メートル 313件 100〜120メートル 1件
100〜150メートル 2件 150メートル 87件 150〜160メートル 1件
100〜200メートル 1件 200メートル 158件 250メートル 8件
200〜300メートル 2件 300メートル 57件 350メートル1件
200〜400メートル 1件 300〜400メートル 4件 400メートル 25件
400〜500メートル 2件 500メートル 20件 550メートル 2件
600メートル 3件 600〜700メートル 1件 700メートル 3件
800メートル4件 800〜900メートル 1件 900メートル 2件
1200メートル1件 0.2海里 1件 0.3海里 2件
0.5海里 9件 0.6海里 1件 0.5〜1海里 1件
例外はあるが、以上のように1000メートル以下を視界制限状態としていることが分かる。
500メートル以下で全体の97%である。昭和20年から30年代の裁決では数値表現は
少なく、濃霧、霧、雪、蒸気霧、煤煙、豪雨、吹雪などと表現していた。
昭和28年10月28日の日没ご間もなくのことである。引船である芦屋丸は大阪港内で出
航のため石炭でボイラーヲ焚いたが急いだため石炭の燃焼が悪く、多量の濃い煙を発生
し煙筒から立ち昇る煤煙<ばいえん>が、折からの北東の和風にあおられて前方になびき、左舷
船首2点ないし4点の間、展望は著しく遮られる状況であった。このため前方から来た船をい
ったん認めたが、間もなく見失い、衝突した。
この事件は神戸地方海難審判庁で審理され、霧中航法が適用され、双方過失が言渡されたが、
第二審では、引船が煤煙を発し、付近に視界制限状態をつくりだしたことを原因とせず、煤煙を
出した引船側一因、煤煙に入った入航船側が主因とされた珍しい事件である。
引船は4ノットの半速力、相手船は5.5ノットの全速力でともに霧中信号を吹鳴しなかった
のであるが、この裁決は半速力と全速力との違いと、相手船が図のように左転したこととで主因
一因としたものであろうが、煤煙を放出し視界不良を作り出したことを問わないというのはどん
な論理構成なのだろう。
筆者の知る限りわが国の戦後の衝突事件裁決で煤煙が原因で視界が不良になったのは、この件
だけだ。 |
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