コラム133 迷走した貨物船

昔、夫婦で乗り組んでいたある機帆船は夫の船長が操舵をしており、妻は船橋内で見張
りをしていたところ、便意を催した妻は、降橋して船尾の吊便所に向かった。
 昔の機帆船は、船内に便所のない船が多く、吊便所といって木枠を船尾端にぶら下げ
それに入り用を足したのである。大型船でも冷房のない船が多かったから、気温の高い熱
帯地方を航行しているときは船内便所よりも吊便所の方が涼しくて快適だった。
 用便に要する時間は、腹痛、下痢などのばあいを除き、数分であるが、一向に昇橋しな
い妻を気にかけていたところ、貨物船に追い越された。
 ところが、相手船の船橋をよくよく見ると、吊便所に居るはずの妻が、こちらに向かって手
を振っているではないか。驚いた夫は、減速した相手船に接舷して妻を自船に移乗させた
のであるが、妻は用便中に吊便所を支えていた綱が切れ、便所もろとも、海中転落したの
であった。 
 ところが運良く後方から接近してきた他船に妻は救助されたということで、夫を驚かせた
のである。さぞかし仰天したことだろう。 笑い話のようだが実話である。

 平成8年4月のことであった。199総トンのK丸は、船長、機関長、一等航海士が乗り組
む船尾機関室型の図のような貨物船である。この船は大阪港でフエロシリコンという合金
鉄を積み、平成8年4月1日午後に大阪を発して関門港に向かった。
 翌2日午後には関門港若松航路に近い若松洞海湾防波堤付近に到着し、翌朝の着桟
予定時刻まで仮泊することにした。船長らは夕食をとったあと、各自の自室で休息してい
たところ、20時ころから下痢や嘔吐の症状がでるようになり、その症状が翌3日早朝まで約
2時間ごとに続いたが、船長らは食中毒にかかったものと思っていた。
 翌早朝、船長は揚地に向かうつもりで船橋に通じる階段を昇り始めたところ、足がもつれ
て立って歩けない状態となり、手摺につかまりながらようやく昇橋したが、機関長、一等航
海士も同様の症状でいずれも食中毒だと思っていたのである。
船長は抜錨の後、若松航路に入り洞海湾奥の揚地に向かおうとしたが、意識が朦朧とし
て物事の判別が出来ないほどで、西向きに航行しなければならないのに、東に向かって
関門航路を航行し、関門橋を通過した。 このころにはジャイロコンパスの目盛りの数値も
読み取れない状態にまで陥り、そのまま関門航路から周防灘西部を東航し、あろうことか
宇部港に入ったのである。
 宇部ではパナマ籍貨物船が係留していた岸壁を関門港若松区の目的地桟橋と取り違
え、そのまま係留しようとしたが、意識朦朧で、正常な感覚ではなかったから着岸に失敗し、
係留中の貨物船の船尾係留索を切断し、さらに相手船の左舷船尾に自船の右舷船尾を
衝突させてしまった。
 船長は相手船と衝突したものの係留桟橋を間違えたものと思い、停船せずそのまま前進
し、宇部港内を迷走していたところ、相手船乗組員から通報を受けた巡視艇が接近し、停
船を命じられた。本船は巡視艇の先導で岸壁に着岸したのであったが、乗組員全員が食
中毒に似た症状であることに気付いた海上保安官が救急車を手配し、宇部市内の病院に
搬送され入院加療を受けたのである。
 ところが、これで終わったのではない。本船は交代要員が乗船したが、前任者全員が入
院したことを知らされないまま、前日乗船していた機関長が体調の不調を訴え病院に行っ
ていたので、その帰船を待って関門港に向かった。
 本船は再び関門港若松区港外で投錨仮泊し、翌日の着桟予定を確認して全員就眠中
のところ、真夜中に機関長が居住区通路で倒れているを甲板員が見つけ、船長は海上保
安部に救助を要請した。機関長は船長の付き添いで巡視艇で搬送され救急車で病院に
移送されたが間もなく死亡したのである。
 在船していた一等航海士と甲板員も眩暈<めまい>や頭痛で病院に運ばれたが命に
別状はなかったのは不幸中の幸いであった。

 これは誠に稀有な事故である。原因は積荷のフエロシリコンで食中毒ではない。
 この貨物の性状は主として製鉄用脱酸素剤であるが、引火性ガスを発生する物質であり、
危険物船舶運送及び貯蔵規則で危険物に指定されているものである。 
 この積荷の表面や内部に残留した不純物が水分と反応するとリン化水素ガス等が発生
する。これを吸引すると低濃度では嘔吐下痢などの症状であるが、高濃度ではさらに呼吸
困難になり、気管支炎、意識不明、全身痙攣などの症状が起り、ときには死に至ることが
あるのだ。 その症状は船長らが訴えたように食中毒としばしば間違えられることがある。
 問題は、海上運送業者がこの性状を知らず、港湾運送業者が海上運送業者にフエロシ
リコンの運送を委託する際、危険物であることを通知せず一般貨物として取り扱った点に
ある。
 
 この事故の背景には、法令の不遵守が認められ、海上運送業界の悪しき慣習が災いして
いることは明らかである。K丸は危険物適合証の交付を受けておらず元々この船を使用して、
この貨物を運送することはできなかったのである。
 海上運送業者が、迷走して宇部港に入った本船の乗組員の症状や、貨物倉の不快臭
に気付いていたのであるから、その時点で積荷の品名や性状調査を積極的に行なってお
れば機関長は死なずに済んだろう。
 船長らに過失が認められなかったのはいうまでもないことである。

(著者注:これは平成10年第二審第11号裁決の要約です。詳細は同裁決を参照ください。)


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