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コラム125 コロンブス第四回航海と月蝕 |
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1492年10月12日金曜日の朝、カリブ海のハバマ諸島サンサルバドル島を初見し
たクリストファー・コロンブス<英語読み、Christopher Columbus>は1502年5月
9日4隻の船と140人の乗組員とともに第4回目の航海に出た。この航海では1503
年6月にジャマイカ島で立ち往生した。この島で救援を待つこと1年、部下であるディ
エゴ・メンデスの働きで奇跡的に救助されたのであるが、ジャマイカでは原住民と紛
争に悩まされた。彼は後に有名になった巧妙な策略でこの危機を脱したのである。 |
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策略とはこうだ。
彼は船上にレギオモンタヌスが1474に作った「位置推算暦」を持っていた。
レギオモンタヌスは(1436〜1476年)ドイツの数学者、天文学者で7桁三角関
数表を作成したことでも知られている。この位置推算暦は1475〜1506年までの毎
日の天体位置が記載されており、コロンブスはこの暦から1504年2月29日に月蝕
があることを知り、これで原住民を驚かし服従させようと企んだのだ。
この日、コロンブスは重要なことを伝えるからと酋長達を呼びにやらせ、通訳として
仕込んでいた原住民を介して、厳粛な言葉で酋長達に語りかけた。それは、偉大な
神についての話で、コロンブスはその偉大な神の住んでいる天空を指差しながら、
次のように予言したのである。
「もし、原住民がスペイン人と平和な営みや通商を続けないなら、大きな災害がや
ってお前達を征服するだろう。天の神はスペイン人を保護しているのだ。神は我々
の現状に不快しており、そのしるしとして、今夜、神は空から月を運び去るだろう。」
この話を聞いた酋長達は、怪しみ、当惑した者もいたが、笑うものもいた。
月が昇ってきたのを見たコロンブスは手を挙げて月を指差した。酋長達もつられて
月を見た。球なるはずの月は下端にわずかな窪みを持っていた。彼らは驚き、さらに
次第に欠けてゆく月面を見て、驚きは怖れとなり、怖れは狼狽となって涙を流す者さ
えいた。そして、わめきながら許されることを願い、強大な白人に対し、かたい忠誠と
服従を約束したのである。
コロンブスは月蝕が終わるまでの間、「神と話すため」と称して船内に引きこもった
が、月面が回復すると、再び彼らの前に現れ、取り乱していた彼らを安堵させ、後々
の食料供給を継続させることができたのだという。
この話を、このHPで紹介している日月蝕のソフトで検証してみよう。
1504年には皆既月蝕が2回あった。この年は閏年であるが現地の位置を北緯18度
00分西経76度40分と推定すると、日本時3月01日月出前の08時00分頃に本影
蝕が始まり月出は08時14分頃のことで、このとき蝕分は既に0.192であった。
皆既の始まりは、09時28分で、本影蝕の終わりは11時27分であったことが検証で
きる。 図に左から順次、月出時の欠けた状況(蝕分0.192)、皆既直前の状況(蝕
分、0.806)間もなく本影蝕が終わる状況(蝕分0.193)を示している。
現地時と日本時の関係が明らかでないので、現在のジャマイカはUTC−5時間
の時刻帯であるからコロンブスも同じ時刻帯を使用していたと仮定すれば、日本時か
ら14時間を減じると現地時刻となる。 そうだとするなら、月出は18時14分、皆既の
始まりは19時28分、本影蝕の終わりは21時27分のこととなろう。
前出の話では「月は下端に僅かな窪みを持っていた。」とあるが蝕分状況からすれば
下端から欠け始めたのはそのとおりであるが、僅かではなく、かなりハッキリした欠け具
合だったはずである。コロンブスが船内に引きこもったのは3時間余りではなかろうか。
この年8月25日にも皆既月蝕があったがジャマイカでは見られなかったはずである。
コロンブスは「カトリック両王に宛てた第四回航海についての書簡」で「私は地球は
一般にいわれているほど大きくはなく、赤道上での1度は56ミリヤ3分の2であることを
簡単に証明できると申し上げます。」と述べている。コロンブスが用いたミリヤはイタリ
アミリヤで1477.5メートルであるから、これは1度を83725メートルと見積もったことに
なる。実際はWGS84測地系(日本測地系2000のこと)で赤道上は11319.4908
メートルである。どうしてこのように異なるかであるが、実はコロンブスは9世紀のアラビ
アの地理学者アルフラガヌスの説を述べており、アラフラガヌスのいう56ミリや3分の2
というのは、1973.5メートルを1ミリヤとするアラビヤミリヤなのである。
ところがコロンブスはこれをイタリヤミリヤと混同したのでこのように大きな差が出るの
である。 アラビヤミリヤで換算するとなら111832メートルが赤道上1度であり、誤差は
0.46%に過ぎない。9世紀にこの程度まで地球の大きさを推定したのは立派なものだ。 |
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