コラム159 ネルソン提督の血

コラム159 ネルソン提督の血
 昔、英国海軍は水兵にビール(Beer)を配給した。毎日、ビスケットと塩漬肉およびビール
1ガロンを与えた。1ガロンはイギリスの単位なら約4.55リットルだから約2.53升
である。ビールにはビタミン、ミネラルが比較的豊富に含まれているし、微量ではあるが消化
しやすい蛋白質も含まれてもいるから食品としても理想的な飲料であって、食欲増進にすぐ
れ、吸収されやすい栄養物である。配給量がかなり多いのは水分補給の目的があった。
 ビール配給の始まりは不明確だが、1500年代遅くにはあったという。
 英国海軍は国内地方のビール製造人から大量のビールを購入する他、海軍の主な食糧工場
にもビール醸造所を設けた。 軍艦に対するビールの供給は、1830年まで行われ、それ
以後も1870年まで、病人用として海軍食糧工場のビール醸造は続いた。

 1655年5月、西インド諸島のスペイン領ジャマイカ島攻略に成功したウィリアム・ペン
提督の英国船隊は既に賞味期限を過ぎたビールの代わりにジャマイカ産のラム(rum)を全
艦に配給した。これが英国軍艦におけるラム配給の始まりで、以降300年の伝統がある。
 ラム酒の発祥はバルバドス島とされる。島の住民たちがこの酒を飲んで騒いでいる様子を、
イギリス人が rumballion (デボンシャー方言で「興奮」の意)と表現したのが名の由来とい
う。発祥はプエルトリコ島とする説もあるが、いずれにしてもカリブ海原産ではあるようだ。
 ラム酒というのは一般的にサトウキビを原料とする蒸留酒のことをいう。原料の状態によっ
て二つのタイプのラムがあり、サトウキビの搾り汁をそのまま薄めて造るタイプは農家がキビ
の収穫後、直ぐに蒸留して楽しんでいたのものだ。もう一つは、砂糖の精製のため、搾り汁を
煮詰めて結晶を取り除いた後に残る糖蜜から造るタイプである。
 ラムは素材、貯蔵方法や期間などの条件に因って透明から濃褐色まで多様な色があるが、大ま
かに分類すると、ダーク、ゴールド、ホワイトの3つに分けられている。このうち、ダーク・ラ
ムは蒸溜した原酒を内面を焦がした樽で3年以上貯蔵するため、樽からの独特な香味成分と濃褐
色が特徴である。英国海軍が初期に配給したラムは濃褐色のジャマイカ産に多くみられる、濃褐
色のものであったのではなかろうか。
 ビールはヨーロッパ海域での短い航海では十分飲用できたが、気温の高い西インド諸島への航
海では、せいぜい数週間しか味を保てず酸っぱくなった。いわゆる賞味期限切れの状態になって
しまう。そこでラムに着目したのだという。
 その後、西インド諸島方面ではラムがビールの代用として重宝されたが、公式ではなく、配給
量も提督や艦長によりまちまちだったようである。
 英国海軍本部がラム配給の基本的な規則を定めたのは1731年、毎日に1/2パイント(
1パイントは1/8ガロン)を午前午後2回に分けて支給した。一日3合強の割合である。 
 その後、ストレートのラムからラムの水割り配給に替わった。これは西インド方面艦隊司令
官サー・エドワード・ヴァーノン提督の判断で定められたものである。
 それまでラムは生(meat)のまま支給されたが、水兵がそのまま飲む有害性に気付き1740
年8月21日より毎日の配給量をラム1/2パイントと水1クォート(1ク ォートは1/4ガ
ロン)のミックスになった。これをグロッグ(Grog)と称した。
 これは水兵に不評だったようだが、後世、グロッグの供給を発案したことから「グロッグの父」
と呼ばれるようになったヴァーノン提督は常にgrogram boat-cloak(粗い布地の船用外套)を
愛用していたのでOld Grogというニックネームで呼ばれていた。
 水割りラムをグロッグ(Grog)と呼ぶようになった由来はヴァーノン提督のあだ名からきている
のである。

 水割りとはいっても大量に飲めば酔っ払うのはあたりまで、水割りラムのグロッグを飲んでふ
らふらになることをグロッギーというようになり、酩酊の代名詞となった。
 日本語ではこれをグロッキ−と発音するが、根源はラム酒の飲み過ぎからであることは意外に
知られていない。

 1756年、英国海軍本部はグロッグの配給を正式に採用した。クックの第一回太平洋探検は
イギリスのプリマスを1768年8月に出帆しているが、配給用のラムは勿論のこと、葡萄酒、
ビールも積み込んでいる。途中寄港したマデイラ島では、なんと葡萄酒を3,032ガロン(約
13.8トン)も積み込んでいる。
 ラム酒は日常の配給だけではなく、ボーナスとしても供給されたし、初めて赤道を通過する者
全員にラム酒が振舞われているが、ラム酒を好まない者は海水に頭を漬けさせられたという。
 1970年になって、英国海軍はラム供給を廃止したが、紳士の嗜み程度の飲酒はいまでも艦上
で許されている。
 我が国帝国海軍の時代も同様で、特に戦時下で出撃前には「酒保(売店)開け!」の号令で飲み
放題だったようである。当たり前だろう。命を国に捧げるのだから。
 咸臨丸の太平洋横断航海では、焼酎を一人1日分5勺(合計7斗5升)を積み込んでいた。
 大正時代の海軍嗜好品としては、清酒、麦酒、生葡萄酒、甘味葡萄酒、混成葡萄酒、シャンパン、
薬用葡萄酒、ウイスキーブランデー、ラム酒、ジン、ウオッカ、焼酎、泡盛、リキール、老酒(紹
興酒)など、37種類の酒類が用意されていた。
 大東亜戦争時には火酒、日本酒などの酒類は一括して衛生酒と呼称しており、艦船にラム酒が
積み込まれていたことが分かる。
 しかし、大東亜戦争後の海上自衛隊は艦上での飲酒を規則に例外のある場合を除き禁じている。
自衛艦船にも酒保があるが、酒保とは名ばかりで、アルコール類は売られていない。これはアメリ
カ海軍に倣ったからだ。
 アメリカは、禁酒法という馬鹿げた笊(ざる)法を制定したことのあるような清教徒のつくった
国だから、海軍も建軍以来艦上では例外を除き禁酒だ。

 こんな笑い話がある。アメリカ海軍のある高官が海上自衛隊の高官に「海上自衛隊はアメリカ海
軍に倣って創設されたというが、艦内生活や服務規則も同じですか。」と聞いた。
 自衛官答えて曰く「そのとおりです。禁酒も同様です。」アメリカ高官が呟いた。「馬鹿なこと
まで真似したものですな。」

 飲酒、喫煙など人の嗜好品を一編の法令や規則で禁止しようとするのは馬鹿げており、いずれ破
綻するのは眼に見えている。アメリカの禁酒法に限らず、我が国でも江戸時代初期の慶長年間に定
められた幕府や薩摩藩の喫煙に関する禁令の末路をみても明らかだ。
 
 一般商船では、船員法の船内秩序維持の項で「乱闘、乱酔そのた粗暴な行為」は禁止されている
が、船務に差し支えない紳士の嗜み程度の飲酒までは禁じていなかった。
 ところが、最近法令の改正で、安全管理規程が定められ、そのなかで、呼気1リットル当たり、
0.15mg以上のアルコール濃度であれば当直に就けないことになった。では、どの程度飲んで、
どのくらい時間が経過すれば、当直に就いて差し支えない程度のアルコール濃度になるのだろう。
 筆者が実験した某船乗組員のアルコール検査結果からすると、通常人が、晩酌を嗜む程度なら、
飲み終わってから8ないし9時間が経過すれば、呼気1リットル当たりのアルコール濃度はゼロに
なることが分かった。
 好きなだけ、飲み放題の結果、起床時に残量が許容値をはるかに超える者、少々飲んでも体質的
にアルコールの濃度が検知されず、僅か1時間で残量ゼロとなる者もいる。
 このことからすると0.15mg云々というのは単なる経験則で、非科学的な基準に違いない。
 車輌の人身事故で、傍目で明らかにふらふらの酩酊状態であったのに、検知濃度が0.15mg
以下であることから罰することができないという矛盾が生じている。
 実船での事例を示しておこう。
事例1
飲酒開始    16時15分  終了 22時40分
酒  量    ビール2缶、焼酎7合
飲酒終了1時間後    0mg  就寝前 0.5mg  朝起床時 0.2mg
コメント この乗組員は非常に酒が強いということである。しかし、さすがに焼酎を7合も飲むと、
起床時には当直に就けない程度のアルコール濃度が検出されている。
事例2
16時00分  缶ビール飲み始め  20時00分の計測値 0.45mg
22時40分  飲み終り 合計缶ビール350mlを8缶
23時45分  計測値 0.10mg
翌朝起床06時30分 計測値  0.00mg

 さて、このあたりで、このコラムのタイトルの説明をしなければなるまい。

 酒の異名には硯水(寒冷地で墨をするとき、水では凍るから酒を硯に注いだことから酒の異名に
なったもので、「けんずい」と読む。)など筆者の知る限り百を超える言い方があるが、ラム酒の
異名に「ネルソン(提督)の血(血液)」というのがある。
 1805年10月21日、ナポレオン戦争における最大の海戦であり、これにイギリス艦隊が大
勝したスペインのトラファルガー岬沖の海戦で、狙撃されて亡くなったネルソン提督の遺体は旗
艦ビクトリーで故国イギリスに運ばれた。このとき、腐敗防止のため、遺体は樽にラム酒漬けにさ
れて運ばれたのである。
 水兵達は、このラム酒を盗み飲みしたといい、これからラム酒の異名を「ネルソンの血」という
ようになったのだという。
 水兵たちが盗み飲みしてしまったため、帰国の際には樽が空っぽになっていたという話もある。
 偉大なネルソンにあやかろうとしたためだったということらしいが、真偽のほどはともかく、狩
猟・肉食民族のキリスト教世界では、それほど異質なことではないのだろう。
 このようなことは、日本のように農耕、菜食民族社会では受け入れられないものである。 
 神道にせよ仏教にしても、教祖や、聖人、偉人の肉を食らい、血や、遺体を漬した液体を飲むと
いう習慣はない。せいぜい教祖が入った風呂の湯を飲むくらいだ。

 紳士の嗜み程度の飲酒に目くじらを立てることはなかろう。
 当直に就く前に毎回アルコール検知器で呼気を調べなければならなどというのは、これ見よがし
に、丸出しで闊歩する女を男に対するセクハラとして罰することもせず、一方的に女だけを被害者
とするようなセクハラ騒ぎなどと同様に、国全体が一種のヒステリー状態になっている証拠だと筆
者は思っている。

(注)この項は神戸商船大学名誉教授杉浦昭典先生のご教示によった。


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