コラム155 SASと海難

コラム155 SAS(睡眠時無呼吸症候群)と海難
 SASとはいってもイギリス陸軍の特殊部隊もSAS(Special Air Service)である。
 この項で述べるSASは睡眠時無呼吸症候群、Sleep Apnea Syndromeの略)のことで、寝
ているとき呼吸が止まり、大きないびきを繰り返す病気である。健康と思われる成人のなか
にもSASは数多く潜在しており、高血圧、不整脈、脳血栓、狭心症、心筋梗塞などの循環
器疾患、夜間の突然死との関連も指摘されている。
 警察庁の調査によるとドライバーの7.9%にSASの疑いがあるという。
 平成15年2月26日に山陽新幹線で発生したJR西日本の居眠り運転で、当該運転手が
SAS であったことが判明しSASが大きな社会問題となった。SASは睡眠中に呼吸が
止まった状態(無呼吸)が断続的に繰り返される病気であり、その結果質の高い睡眠が十分
にとれず、覚醒時に強い眠気などを招くことが特長で、殆ど眠気を意識しないまま、突然意
識を失ったかのように眠りこけるもので、わが国における潜在患者は200万人という報告
もあるようだ。 もちろん、船員も例外ではない。
 船舶の衝突や乗揚げ事故のうち、居眠りに起因するものを海難審判の裁決から検索してみ
ると、
 原因               衝突事故          乗揚事故
 居眠り衝突事故1142件中、         居眠り乗揚事故777件中、
 「飲酒」の文字列が含まれるもの    44件         31件
 「過労」の文字列が含まれるもの    24件         12件 
 「疲労」の文字列が含まれるもの   479件        370件 
 「睡眠不足」の文字列が含まれるもの 354件        269件
 「気の緩み」の文字列が含まれるもの 153件        170件

 上記の各文字列が含まれない居眠りに起因する衝突事故は、400件(35%)である。
 居眠りに起因する乗揚事故で上記の各文字列が含まれないものは、190件(24%)で
ある。
 そうすると、衝突で35%、乗揚げで24%の居眠りに起因する事故はSASに罹患して
いた当直者であった可能性があるといえるのではなかろうか。

 門司地方海難審判庁は珍しい海難事故を僅か5人の審判官によって審理されている。
 VDRのデータ解析から事実を合理的に認定した衝突事件、AISのデータから航跡や衝
突角度を認定した衝突事件、当直者がSASであったとして過失なしとした衝突事件はいず
れも門司地方海難審判庁がわが国で最初に審理した事件である。
 ここにいうSAS関連の事故は、油送船第二昭鶴丸貨物船永田丸衝突事件である。この事
件は錨泊中の危険物運搬船昭鶴丸に当直者が居眠りしていた航行中の永田丸が衝突したもの
で、昨年12月に裁決が言渡された。しかし錨泊船側は裁決を不服として第二審を請求した。
 従ってこの裁決は確定していないのであるが主文はこうだ。
 「本件衝突は,永田丸が,居眠り運航の防止措置が不十分で,錨泊中の第二昭鶴丸を避けな
かったことによって発生したが,第二昭鶴丸が,見張り不十分で,注意喚起信号を行わなか
ったことも一因をなすものである。」
 また、裁決はSASについて、
 「SASは,睡眠中に舌が喉の奥の方に沈下することで上気道の狭窄(きょうさく)が起こ
り,呼吸停止や低呼吸を断続的に繰り返す睡眠障害の病気で,元々顎(あご)の小さい人,肥
満をきっかけに喉の奥が狭くなった人,仰臥(ぎょうが)姿勢では気道が狭くなる傾向がある
人,飲酒の習慣がある人や高齢者等に発症率が高く,常習性のいびき,睡眠の中途覚醒(かく
せい)による深睡眠の欠如及び脳への酸素供給の悪化等が生じ,非睡眠時における強い眠気や
注意力,集中力の低下等の症状を呈し,高血圧,不整脈,心筋梗塞等の誘因となる。一般的
に,罹患者は寝付きが早く,睡眠時間が長い傾向にあるが,睡眠不足状態を自覚していない
まま,十分な睡眠をとっていると思い込み,重症度や個人差もあるものの,眠気については
眠気を我慢できずに居眠りに陥るまでの時間が短く,ほとんど眠気を感じることなく居眠り
に陥ることが特異な点とされている。
 罹患検査は,眠気の自己診断テスト,パルスオキシメーター,自宅において,呼吸運動や
心電図などの睡眠状態を調べる睡眠時無呼吸計測検査(以下「簡易型PSG検査」という。)
及び専門医療施設に一泊して,脳波測定等の睡眠状態を調べる終夜睡眠ポリグラフ検査(以
下「精密型PSG検査」という。)等があり,精密型PSG検査の精度が最も高く,これに
よって罹患しているか否かの確定診断がされる。
 重症度は,1時間あたりの無呼吸・低呼吸時間値(以下「AHI」という。)を目安とす
れば,AHIが5ないし15で軽症,15ないし30で中等症,30以上で重症とおおよそ
に区分されている。
 治療方法は,中等症から重症の罹患者には鼻マスクを介して上気道に低圧力をかけて閉塞
を防止して呼吸を正常にさせるCPAPと略称される装具を睡眠中に装着することで改善で
き,軽症の場合はマウスピースを使用することも有効である。
 大抵の罹患者は,適切な治療器具を装着して就寝すれば普通の睡眠が得られて健常者と同
じ体調となり,交通機関の運転手であっても職務に就くことが可能であるとされている。
 また,平成15年2月鉄道の運転士が罹患者であったことがテレビや新聞等で報道されて
いたが,当時海運業界ではSASに起因する居眠り運航が顕在化していなかった。」
 以上のように述べ、また受審人については、
 「日ごろ家人からいびきが激しいと言われ,肥満度を示す体重に対する身長の二乗比(BMI)
が高く,年齢の割には睡眠時間が長く,飲酒の習慣があったことなどから,SAS特有の症
状を呈していたので,自らの健康管理として自発的に診断を受けて治療及び改善を要する状
況であったが,SASに関する知識が不足していて,診断を受けておらず,当時,SASに
罹患していたものの,罹患していることを自覚していなかった。
 ところで,B受審人は,1日1回,就寝前に寝酒としてウイスキー水割り2杯を飲むのを
習慣としており,本件当日には約10時間,前日及び前々日にはそれぞれ約8時間の睡眠を
とっていたが,SASの影響で,実態は睡眠不足状態にあり,居眠りに陥りやすい状況とな
っていたものの,睡眠不足を自覚しないまま,眠気を感じていなかった。」
 と述べ、居眠りした当直者の所為については、
 「B受審人が,夜間,山口県宇部港港外において,船橋当直に就いて南東進する際,居眠り
運航の防止措置をとらず,居眠りに陥り,錨泊中の昭鶴丸を避けなかったことは,本件発生
の原因となる。
 しかしながら,このことは,SASに罹患していたにもかかわらず,自らの健康管理とし
て自発的に診断を受けないまま,SASに罹患していることを自覚していなかったが,SA
Sの疑いのある船員が罹患しているか否かの検査を受ける環境が整えられていなかった点に
徴し,B受審人の職務上の過失とするまでもない。」
 以上のとおり、居眠りした当直者には過失はないとしたものである。

 この事件の航行船側の補佐人は田川俊一弁護士(東京在、日本海事補佐人会長)で、弁論
においてSASと過失の関係について詳細に論じ無過失を主張された。
 裁決はほぼ弁論の内容に沿って言渡されたものである。

 ところが、同人の刑事処分は、居住地の函館区検が海難審判期日前の 平成18年3月、業
務上過失往来危険罪で略式起訴し、函館簡裁が同月、罰金20万円の略式命令を出した。事
故責任を巡り行政と司法で判断がわかれた形になっている。
 SASは今に始まったものではなく、おそらく人間の歴史と同じくらい古くからあった病
気に違いない。
 2003年2月のJR山陽新幹線の居眠り事故を受けて国土交通省は早速「交通事業に係
る運転従事者の睡眠障害に起因する事故等の防止対策に関する連絡会議」を開催し、即座に
各事業者に通達を発している。
 しかし、第二昭鶴丸永田丸衝突事件以前の海難審判裁決では、過労、疲労や睡眠不足でな
ければ「気の緩み」が原因であるなど、極めて主観的で根拠希薄な決め付けをして居眠りを
した当直者に対して業務停止などの懲戒を言渡し続けてきた。
 今にして思えば、自分は当時SASに罹っていたのだと気付いたとしても、海難審判は一
事不再理だから、業務停止の取り消しを求めたり、経済的損失を補償してもらう手立はない。
 審判関係者のSASについての知識不足(無知、不勉強)のために海上における同種事故
に対する対応が遅れたといえるだろう。本来は過失なしのはずなのに懲戒された人々は救わ
れない。
 このようにSASに罹っていた当直者は精神障害者が殺人を犯しても無罪になるのと同様
に過失責任はないということである。
 だが、論理はどのようにでも構成できるものであり、白を黒といったり、その逆の主張や
認定は容易であるから今後、同種の事故が発生したときの裁決に注目したいものである。
 この事故は両船共に下図のようなレーダーの警戒ゾーンを設定していたとすれば、ハード
面で事故を未然に防止できたはずである。

 居眠りに起因する従来の衝突事故の裁決では、眠気を催したら「歩き廻る。」、「ガムを
かむ。」「窓を開けて外の冷気に当たる。」、「歌を唄う。」、[コーヒーやお茶を飲む。」
「気を引き締める。」などの覚醒手段を講じ、ダメなら「船長などに当直を交代してもらう。
」などと分かりきった精神論に終始して非難をしているのであるが、居眠りした当直者がS
ASに罹患していたとするなら、殆ど眠気を感じないまま突然居眠りに陥るのであるから、
裁決の指摘は的外れであったということになるだろう。
  船社はSAS検診プログラムを活用して乗組員がSASに罹患しているか否かを定期的に
診断すべきだ。

 「東京海上日動メディカルサービス株式会社(千代田区大手町)では、(財)日本予防医
学協会ならびにフクダライフテック(株)との共同事業として、交通事業者の健康管理や事
故防止、安全配慮に有用な<SAS検診プログラム>を販売している。」
 また、SAS専用のホームページ「SASコミユニケーション・クラブ」を立ち上げてい
るので海事関係者は参考にされたらいい。

(注)SAS検診プログラムについての詳細は、
東京海上日動メディカルサービス株式会社 健康プロモーション事業部にお問い合わせください。
 〒100−0004東京都千代田区大手町2丁目6番2号 日本ビル12階
電話(直通)03−5299−3107、FAx03−5299−3115


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