コラム149 点鐘談義

コラム149 号鐘談義

 タンツーかかれの号令に ガシャガシャサイドに おしやられ
 七つのお鐘が鳴るまでは プープデッキをはい回る

 七つのお鐘はまあだおろか 八つのお鐘が鳴るまでは
 八つのお鐘が鳴るまでは プープデッキをはい回る

 これは海の愛唱歌「タンツー」節の4と5節目である。「プープデッキをはい回る」
とは甲板を砂摺りすることである。昔の商船学校や海員学校では定期的に寮の廊下に
水を撒いてわら縄を巻いて棒状に造ったもので廊下を磨いたものだ。練習帆船でのタン
ツーとは異なるが、摺る姿勢は同じであったから、身体を鍛え、練習船乗船時に備える
ための訓練の一種であった。
 海関係の学校も、最近は木造からコンクリートに変わったこともあって在学中のタン
ツーなどは全く無縁の時代となってしまった。
 タンツー節にいう七つのお鐘、八つのお鐘は、いわずと知れた号鐘のことで、タンツ
ーは早朝に行うから七つは7時半であり、八つは8時である。号鐘は昔は「時鐘(Time 
bell)といっていたが、現在は法令上でも号鐘と表記している。
 金属で音を鳴らす用具の代表的なものは鐘(かね)で、普通はお椀状で内側の奥から
金属の塊をぶら下げ、これを内側からぶつけて音を出す。小さな鐘は柔らかい布団の上
に置き、柄を手にとって振ることで音を鳴らす。人を呼ぶときに用いるし、僧侶は仏事
で使っている。
 教会の鐘は鐘そのものを揺り動かして鳴らすのが、仏教寺院の鐘との違いだ。
 仏教寺院の鐘の総称は梵鐘(ぼんしょう)であるが、インドから伝来した仏教法具と
しての釣鐘(つりがね)は撞木(しゅもく)で撞(つ)き鳴らす。別名に大鐘(おおが
ね)、洪鐘(おおがね、こうしょう)、蒲牢(ほろう)、鯨鐘(げいしょう)、巨鯨(
きょげい)華鯨(かげい)などがある。
、半鐘は江戸時代から火の見櫓の上部などに取り付け、火災・洪水発生時などの災害時
に鳴らし、近隣住民に危急を告げるのに用いた。
 鈴(りん)も仏具の一種で、読経の始めや最中、終わりなどにそのへりを打ち鳴らす。
輪とも書く。大型のものは磬子(けいす)などとも呼ばれている。実際は鈴台の上に布団
を置きその上に乗せてある。打ち鳴らすときに用いる棒(倍)は専用のものを用いる。
 鈴(すず)は、金属や陶器などでできた中空の球の中に小さな玉を入れたもので、振っ
て鳴らす楽器の一種である。神道では、神楽舞(かぐらまい)を巫女(みこ)が舞うとき
手に持って鳴らす神楽鈴や神社の拝殿で振り鳴らす鈴がある。これは神の注意を引くため
であるという。
 カリヨン(carillon)というのもある。これはメロディーを奏でるための複数の鐘を持
った「組鐘」を意味する。古くヨーロッパで使われた、時計の鐘が始まりという。
 そのほか、知られたものとして朝鮮鐘(ちょうせんしょう、ちょうせんかね)があるが、
詳しくは辞典を見ていただこう。
 船で使用する鐘は、元々は悪魔祓いの用具であり、宗教用具である。
 大航海時代には数多くの鐘が積まれ、出航時には、これらを舷側にぶら下げて、一斉に
打ち鳴らし悪魔を退散させた気になってから出航したようである。
 そして、新しい島嶼や陸地を初見すると、彼らキリスト教徒は上陸して教会を建立し、
積み込んでいた鐘を陸揚げして教会の鐘にしたのだ。
 時鐘の表面には建造時の船名と建造年が刻まれていた。スコッチウイスキーのカテイ
サーク(Cutty Sark)は3本マストのシップ型帆船であるが、一働きの後に
転売された。この船を懐かしんで取り返し保存しようと考えた元乗組員たちは手分けして
世界の港でそれと思しき船を捜し求めたのである。時鐘に刻印された船名が手がかりで
見つけることができたのは有名な話である。いまどきの内航船の号鐘にはなにも書かれ
ていないのが殆どで、船主はこんなことに興味を示さないようである。
 昔の客船なら必ず出航時に打ち鳴らしていた「どら<Gong>」は「銅羅」とかき、銅製
の容器という意味だが、これも宗教用具の一種で、出航時のどらの音も悪魔退散のためで
あった。
 筆者が乗船していた頃の号鐘は船橋にあった。船首楼にも備えれていた。船首楼のも
のは霧中信号用であるが、揚錨時になん節かを船橋に知らせるために打ち鳴らした。
 船橋のものは30分毎に操舵手が打ち鳴らしてから、操舵を交代した。だから操舵室
内で舵輪のすぐ右側天井に吊り下げられていた。現在は内外航船で号鐘で時を知らせる
船は練習船やクルーズ客船などの特殊な船に限られているようである。
 号鐘やどらは法定備品で、号鐘は全長20メートル以上の船舶に必要であり、どらは全
長100メートル以上の船舶に備え付けが義務付けられており、号鐘やどらは錨泊中視界
制限状態になったときに法定の間隔で打ち鳴らすことになっている。
 しかし、視界制限状態時の海上で鐘の音は殆ど聞くことができない。レーダーが普及し
たせいで、わざわざ鐘やどらを鳴らさなくても、互いに動静を察知することができるのだ
から鳴らすまでもないというのが本音の話のようである。
 実際に内航船を訪れると、船橋に号鐘を吊り下げている船は全くといっていいほど見か
けない。
 乗組員に鐘の在りかをだずねると、「倉庫にあると思う。」と答えるのはいいほうで、
「どこにあるか知らない。」という船員は珍しくない。
 また、号鐘について尋ねるまえに「錨泊中、視界制限状態となったら、どんな信号を行
うか。」を尋ねると、汽笛を鳴らすと答える船員は多いものである。
 彼らは錨泊中、霧になっても成規の霧中信号を鳴らさないし、鳴らす術も知らないとい
っていいことが分かるだろう。
 勿論、号鐘で時を知らせる方法など、論外なことである。

 古い船乗りは、時鐘の音を聞くと郷愁を覚え、昔乗船した船の船橋風景が脳裏に蘇るこ
とだろう。私もそうだ。
 私は、土日にヨット春一番U世号にでかけるが、一泊するから、昔を懐かしんで30分
毎に鳴る時鐘時計が欲しくなり、ドイツはPlastimo社製のものを入手した。クオーツ時計
であるが、電源が単3乾電池1個で駆動するから、鐘の音が小さいだろうとは思っていた
が、実際に使っみると、想像以上に、静かな室内でも耳をそばだてて聞かないと良く分か
らない。
 あれこれ思案の末に思いついたのがアンプの応用である。
 写真のように、コンデンサーマイクを時計内に入れて、マイクアンプとプリアンプのキ
ットとDC/DCコンバータのキットを組み立て組み合わせたところうまく行った。
 前方キャビンのベットルームで寝ていても点鐘の音が心地よく聞こえる。
 消費電流はごく僅かだから、下船時にも電源は切らない。無人の船内で八点鐘が鳴り続
けていると想うと愉快だ。
 だだ、写真のように時計から出しているマイクコードがシールドされていないから、単
なるアンプなのに日没を過ぎると北京放送(日本語)がじゃんじゃん回り込んで謀略放送
がやかましいのには閉口し、現在はシールド線に取り替えている。

 ところで、時計が粗末なものしかなかった大航海時代にはどうやって時刻を知り時鐘を
鳴らしたのだろう。
 30分砂時計を用いたはずだが、卓上に置いたのではなく、吊り下げて用いたと書いて
いる書物がある。
 詳しい仕掛けが分からなかったので砂時計の上下に紐をつけて、30分が経過して砂が
下の容器に落ちてしまうと、砂時計を反転させて、下にあった紐を上に吊るすのかなと単
純に思っていたら、実は巧妙な仕掛けがあって、砂時計本体を反転させただけでいいこと
が分かった。
 写真の砂時計がそれだ。 これは19世紀初頭のイギリス軍艦の海洋スペクタル・アク
ション映画(ラッセル・クロウ主演、アカデミー賞受賞)[Master and Commander]にでて
くる砂時計とその仕掛けだ。
 私は同じような仕掛けのある砂時計を持っているが時間が不正確で置物としての価値し
かない。

(注)点鐘時計は、神戸市、有限会社ドグワッチ(フアックス078−793−1317)で購入したもの



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